地球から来た男(『地球から来た男』より)2010-11-04


昔、よく通っていたバーのマスターから、久しぶりにメールが来た。
古いレコードを手に入れたから、一杯飲みに来ませんか?っていうものだった。
それで私は、仕事帰りにマスターの待つ、バーのドアを開けた。

「いらっしゃい。お待ちしてましたよ」
マスターは、何も変わらない笑顔で私を迎えてくれた。
テーブルの隅に先客が一人いるだけで、あとはマスターと私だけ。

「あいかわらず、繁盛してるわね」
私は笑って、席についた。
マスターは、私の好きなカクテルを茶道のような無駄のない手つきで作り始めた。
「最近、お見えにならないから、どうしてらっしゃるかと思っていたんですよ」
そう言いながら、マスターが私の前にそっとホースネックを置いた。
「なんだか、忙しくって。だけど、忘れていたわけじゃないのよ。時間だけがあっという間に過ぎてしまって・・・・・・」
私は、ホースネックをゆっくりと口に運びながら、ちらっとテーブルの隅にいる先客を見た。

中年のどこにでもいる、身なりのきちんとしたサラリーマンといった感じの男だ。どことなく、昔の映画に出てくる俳優みたいな顔立ちをしている。
男も、私の視線に気づいて、こっちを見て、小さくお辞儀をした。
「お一人ですか?」
「ええ」
「私が、お呼びしたんです。珍しいレコードを手に入れたものですから」
マスターは、少年のように瞳をキラキラさせながら、棚の中から一枚のレコードを取り出した。

「これね?」
「これです」
両掌で、レコードの隅を押さえて、クルリと回すと、プレーヤーへ置いた。
「ザ・プラターズのスリーピー・ラグーンです」



「懐かしい響きですね」
隅の男が、目を閉じてジャズの音色に聞き入りながら言った。
マスターも、得気だ。
「素敵な曲ね」
私も、バーに広がる伸びのいいヴォーカルの歌声に集中しようとした。

「地球に住んでいた頃、聞いたことのある曲です」
男がしみじみと言った。
「地球・・・・・・ですか?」
マスターがグラスを丁寧に拭きながら尋ねた。

「ええ、この夜空のずっと向こうにある星の名前です」
「と、言いますと?」
「宇宙には、いろんな星があるでしょ。その中のひとつに地球っていう星があるんです。僕は、そこから来たんです」

「地球ってどんな星なんですか?」
私は、話しが気になって、マスターと先客の会話に割り込んだ。
「一言で言ったら、水の惑星です。・・・・・・ほら、このカクテルみたいに、青くきれいな星です」
「カクテルみたいな星? じゃあ、その青いカクテルみたいな星には、あなたのような、私たちにそっくりな生物が住んでいるってわけね? ステキ」
「・・・・・・まあ、難しい話しは、ないんですよ。僕は、地球という星から来たと、ただそれだけのことなんです」
男は、思わせぶりにうつむいて言った。

「とっても興味深いお話しですね」
マスターは、そう言って、ナッツの盛り合わせを小皿に盛って、私と地球から来た男の間に置いた。

「・・・・・・地球はここよりもいいところなの?」
私は、レコードを見つめながら男に聞いた。
男は、ナッツを一粒掴むと、口に入れ、ポリポリといい音を立てて噛み砕いた。
「そうでもありません。ここと、とてもよく似た感じですよ」
「どんなところが?」

男は、少し笑って、回るレコード越しにある窓の向こうの夜空を見つめながら言った。
「・・・・・・誰かが、古いレコードをとても大切そうにプレーヤーへ置く。・・・・・・そして、針をそっと摘まんで、その回転する盤面の溝へ落とすんです。すると、今までただ回転していただけのレコード盤から、スリーピー・ラグーンが優しく響いてくる。・・・・・・そんな感じが」


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コメント

_ tatsu ― 2010-11-04 23時02分17秒

私も地球に居た頃プラターズを聴いた事があります。
バーのマスターに宜しくお伝え下さい。

_ tatsuさんへ ― 2010-11-04 23時06分28秒

地球って、きっと美しい星なんでしょうねえ。ただ、この地球から来た男は、あれから一度もお店に来てないそうです。

_ りんさん ― 2010-11-06 15時01分12秒

いいですね。おしゃれな雰囲気。
バー、カクテル、レコード。
ノスタルジーですね。
レコードも、地球では貴重になってきましたね。

_ おりんさんへ ― 2010-11-06 20時02分54秒

最初、地球から来た男はレコード盤の回転によって地球へ再び帰って行くっていうようなSFっぽい話しにしようかと思ってたんですけど
書いてるうちに長くなっちゃいそうだったので
こんな中途半端な感じの終り方になりました。そんな感じでもいいのかなあ(笑)

_ 矢菱虎犇 ― 2010-11-06 22時08分43秒

こういうおしゃれな話も巧いですねぇ!
ボクは終わりの雰囲気が好きですよ。
地球を遥か離れた場所でも地球と同じように時が流れているって感じ、なんか音楽に浸っているときに普遍的なものを感じるアレじゃないですか。
イランの家庭で『おしん』が大人気みたいな。
ちがうか!(笑)

_ みたび矢菱さんへ ― 2010-11-06 22時34分45秒

病み上がり悲報館の矢菱さんから、連続コメントいただいたものを追い掛けながら、お返事させてもらってます(笑)
このお話しはもう倍くらいの長さになったんです。
で、推敲ってわけじゃないんですが、半分のところでバッサリショートカットのヘアースタイルにしてみました。
もったいないなあと思ったんですが、やってみたら半分で終わっても、まあいいんじゃないかとそんな気になってきました。
レコードの回転と地球の運命みたいなストーリーまで切ることはなかったのにと、ちょっと反省はあるんですけども。

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