赤い花2010-08-24


朝の気配に気づいた。
彼も私も裸のままだ。
薄い毛布から、彼の上半身がのぞいていた。

私は、彼の冷たい肩に手を置いて身体を摺り寄せた。
彼の肌がヒンヤリとして気持ちがよかった。
私は、雪山の洞窟の中でこうして抱き合いながら、お互いの熱で身体を暖めあっている場面を想像した。

彼は震えていた。
震えた背中が私の胸に触れた。
彼は私に抱かれて泣いていたのだった。
声を殺して、短く鼻をすすりながら背中を向けて。
「どうしたの?」
と、私は彼の背中に聞いた。
「・・・夢を、夢を見たんだ」
と、彼の背中が言った。
「悲しい夢?」
部屋が、まどろみの中でまだその輪郭を現してはいなかった。

「あずさが、癌の宣告を受けるんだ。医者に、もう末期だって言われた時、俺はテーブルの上にある赤い花を見たんだ。そのうち花びらが、ゆっくりと一枚ずつ落ちて、落ちた花びらは輪になって消えていくんだ」
と、彼は言って、身体を丸めた。

「俺はすごく不安になって、その不安に吸い込まれるようになって、立ち上がれないでいたら、あずさがやってきて、笑うんだ。私は大丈夫、もう大丈夫って言って笑うんだよ。その笑顔の意味が痛いほどよくわかって、それで・・・それで・・・」
彼はピローに顔をうずめた。

私には彼を助けてやることなんてできない。
どんなに彼を愛していたとしても、今の彼を救う道は、私が彼のもとから去ることしかないのだろう。
「あずささんのこと、まだ愛しているのね」
彼は小さく頷いた。
「ゴメン、俺にもよくわからないんだ」

私の鼓動が彼に伝わっている。
彼の鼓動が私にわかるように。

私は、甘えてきた子供に母親がするように、彼の髪を優しく撫でてやった。
彼はいつの間にかまた寝息を立てていた。

ソファーの上に、彼と私の洋服がゴチャゴチャに絡まって脱ぎ捨ててあった。サイドテーブルには沖縄行きの航空券と旅行ガイドブックがあった。

  「終わりにしなきゃ・・・こんな関係」
と、私は溜息の中で言った。
「ゴメン、辛い思いばかりさせて」
と、彼が逆光の中で言った。
「起きたの?」

彼が私のアパートメントに来るようになってからというもの私たちは何でもお揃いの物を買った。
そうやって私は、彼を独占したつもりになっていたけれど、心は奥さんとしっかり繋がっていて、多分、彼と私は心以外のどこか遠い所で愛し合っていたんだと思う・・・そんなことわかっていた。
わかりすぎるくらいわかっていたはずなのに、だけどいつまでも彼から離れることができなかった。

「もう、終わりにしなくちゃね。私たち」
と、テーブルにふたつ並んだマグカップを見つめながら私は言った。
「もう二度と逢えないんだろうか・・・・」
と、彼がポツリと言った。

  私は、この街を出ようと思う。

  雲が早い。
海がキラキラと輝いている。
那覇空港の滑走路が見えてくる。

今考えてみたら、彼との日々は一種の病気だったんだと思う。
あれ以上、彼との関係を続けていたら、その病気が深いところまで進行して、ふたりとも不治の病に冒されていたことだろう。

ああ、夏の香りがしてきた。

タラップを降りると褐色の女性がフラダンスを踊りながら近づいてきて、私の頬にキスをして、赤い花の首飾りをかけてくれた。

「私は大丈夫。・・・・・・もう大丈夫」
なぜだろう、涙があふれてくる。
笑顔になればなるほど涙が止まらない。

きっと、あの海の蒼さのせいだ。


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コメント

_ tatsu ― 2010-08-24 23時07分01秒

ショートショートと短編小説はどこが違うのですか。
トゥーサ・ヴァッキーノ さんは完全に一皮剝けましたね
これは立派な短編小説ですね、更に長く続きそうな余韻を感じます。
新聞の連載小説の様に続きで繋ぎながら長編を目指されてはいかがでしょうか。

_ 矢菱虎犇 ― 2010-08-25 01時00分38秒

以前ヴァッキーノさんが書き綴っておられた『イアル』や今回のお話みたいなイメージ豊かな世界ってヴァッキーノさんならではですね!先日連続で観賞した『トリコロール3部作』を思い出しました。

_ りんさん ― 2010-08-25 20時01分13秒

ステキなお話ですね。
女心をうまく表現してますね。
短いお話なのに、ドラマを見ているような気がしました。

_ 銀河径一郎 ― 2010-08-25 20時12分42秒

妻の病に動揺する男の気持ちと、
男の心の比重が妻に傾いてることを
敏感に感じ取った女性の切ない気持ちが
うまく表現されていて、とてもよかったです!

_ tatsuさんへ ― 2010-08-25 21時03分37秒

またまた~、tatsuさんったらそう言って、
ボクにこのお話の続編を書かせようってんじゃないですよね(笑)
ダメですよ、こういう男女の恋愛事情みたいなのを書くのって
とっても照れくさいんです。
なんか、ソコハカトナク臭いんですよねえ。。。

_ 矢菱さんへ ― 2010-08-25 21時08分26秒

>『トリコロール3部作』
あれは、天才的な映画ですよね。
3つのお話が、関連するでもなく、つながって、
ひとついとつのお話の登場人物が、別のお話にも
ちょっとだけ登場するってのも、いいですよね。
ボクも、なにか連作を書くときは、必ずキェシロフスキ監督の
静かな激情みたなところと、偶然の中の必然みたいなものを
意識しないわけにはいかないわけです。
キェシロフスキ作品を知らなかったら・・・・・・と思うと、恐ろしくなるくらいです。

_ おりんさんへ ― 2010-08-25 21時11分52秒

>女心をうまく表現
女心と猛暑の夏、いえ秋の空って言いますけど、
女の人の方がちゃんと信念を持っていて
逆に男の方が逆に優柔不断だったりしませんか?
ボクは、とても優柔不断なんです。
スーパーでバナナを選ぶだけで、大きさとか色とか
結構悩んだりしたりします(笑)

_ 銀河径一郎さんへ ― 2010-08-25 21時17分31秒

女の人の心の中は本当にわかりません。
猫みたいですよね。
その点、ボクはわかりやすいですよ~。
妻にうそをついても、すぐにバレてしまうんです。
ニヤついた顔って、損ですね。
色男と美人だったら、やっぱ色男の方が得でしょうね。
なに言ってんだろ? ボク。

_ もぐら ― 2010-08-26 16時33分19秒

ヴァッキーノさんって・・・。
ヴァッキーノさんって・・・。うーん。

ヴァッキーノさんって・・・いや、ヴァッキーノさんの作品って
万華鏡みたいです。

_ もぐらさんへ ― 2010-08-26 19時11分08秒

>万華鏡みたい
万華鏡の仕組みを知らなかった頃、
これはなにかスゴイことになってるー!ってびっくりしました。
で、分解してみたんです。
ボクは万華鏡というより、合わせ鏡です(笑)

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